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可愛げと美しさを運ぶ、スプリング・エフェメラル

この記事の記述をしている季節は2月。

もうまもなく春です。

 

蕾から綺麗な花を咲かせる時期でもあります。

今回はそんな春植物についてです。

春の素晴らしさを「早春の花」たちを通じて感じてください。

人の心・花の姿

 

 夏目漱石の小説「それから」の冒頭は、次のように始まります。

「枕元を見ると、八重の椿が一輪畳の上に落ちている。

代助は昨夕床の中で慥(たし)かにこの花の落ちる音を聞いた。

彼の耳には、それが護謨毬(ごむまり)を天井裏から投げ付けた程に響いた。

夜が更けて、四隣(あたり)が静かな所為かとも思ったが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋のはずれに正しく中(あた)る血の音を確かめながら眠に就いた。」

 

2016年が漱石の没後100年、2017年が生誕150年。

それを言いたくて引用したのではありません。

 

椿の花が落ちる音を聞いたという出だしで、読者はこれから始まる波瀾万丈の展開を想像します。

人からすれば、椿に託す心情や椿の花から浮かび上がる想いというものがあるのが解ります。

 

ツバキの花は花弁がばらばらに散るのではなく、多くは花弁が基部でつながっていて萼を残して丸ごと落ちます。

首が落ちる様子を連想させ、病人のお見舞いに持っていくことはタブー視されています。

古来より「落椿」と言われ、俳句では春の季語になっています。

花の姿には、不思議な心使いや思い入れがつきまといます。

 

早春の妖精たち・・・春植物 

「スプリング・エフェメラル」ということばをご存じでしょうか。

Spring Ephemeralと書きます。

単純に訳せば「春植物」、気持ちを込めて訳せば「儚い春の花たち」。

叙情たっぷりに訳してみれば「春の妖精」というところでしょう。

 

凍てついた地面が熱を持ち始め、北国では雪解けが始まり、大地が数ヶ月ぶりに太陽を浴びるとき、最初に地表に出てくる植物たちの総称です。

林床性多年生植物という言い方をします。

 

日本人は、春そのものも大好きですが、「春を待つ」という気持ちも非常に大切にする民族です。

「雪間」「斑雪(はだれ)」「沫雪」「春浅し」「余寒」「春寒」「冴え返る」など、この時期の季語だけでも沢山あります。

まだ冬なのに春を待ちわびる心、春になったのに未だ冬みたいね、という気持ちを、微妙な言葉に置き換え、選び、歓び、楽しんできました。

 

凍てつく地面から這い上がってくる可憐な花たち

 

スプリング・エフェメラルの代表的な花をあげれば、セツブンソウ、フクジュソウやユリ科のカタクリ、キンポウゲ科のイチリンソウの仲間、一部のケシ科の植物たちです。 

それぞれ可憐で美しい花ばかりですが、凍てつく冬を地中で過ごした後、大地を突き破って咲こうとする意志には心動かされます。

 

大人になると、ちっぽけな自尊心が邪魔をして、次第にこういう無垢な感動から遠ざかっていくのはどういうわけなんでしょう。

 

「だれでも経験があるだろう、運動会で

子供達が懸命に走っているのをみると

目が潤むのだ、自分の子でもないのに、

ビリの子供の力走には涙が出てくるのだ」                 

          (中桐雅夫「母子草」より)

 

スプリング・エフェメラルの花からは、こういう子供にしか持っていないものを感じるのです。

 

蝉は、僅か一週間ほどの命の響きをとどろかせているが、地中に7年もいて、静かにその時を待っていることと同様に、儚さを感じながらも、けなげに全霊をかけて地上に這い上がってくる姿には感動します。

 

初夏には死に絶えてしまう?花の宿命

 

 スプリング・エフェメラルのほとんどが、日本中が緑一色になる初夏には、跡形もなく地上部は全て消えてしまいます。

しかし彼らは地面の下で生き続けています。

秋も深まった頃、彼らの根を掘り起こすと地中20cm以上もの深いところで根を伸ばし、あるいは球根を増やしと、生き方は様々ですが、しっかりと次の世代のための準備をしています。

 

初夏から夏の間、一年の一番賑やかな時期に、次の春のためにそっと生きていました。

「雌伏十年」と言う言葉はよく知られていますが、反対語はあまり知られていません。

「雌伏」の反対語は「雄飛」です。

雌が卵を抱え暖めて、雄が大空へ羽ばたくというのです。

 

〈生まれ変わるために枯れる〉

花を咲かせて、早々と死に絶えてしまったと想われたスプリング・エフェメラルの花、地下でしっかり生きていました。

生まれ変わるためには一度は死なねばならない。

 

花も、葉も、茎もそう感じているのでしょうか。

秋の紅葉をみて、同じ気持ちになります。 

 

春の妖精、スプリング・エフェメラルの「可愛気(かわいげ)」「可愛さ(かわいさ)」というものは、人でいうところの努力して身につくようなものではありません。

天性のものです。宿命といってもいいかもしれません.

文芸評論家、矢沢永一氏は「可愛気」の無い人間はどうしたらいいのか?次のように書いています。 

「律儀を狙え。律儀なら努めて達しうるであろう。律儀を磨き上げれば、ほとんど可愛気に近づくのである」

 

スプリング・エフェメラルの花たちは、可愛げと律儀を地上と地中でしっかり体現していました。(destael2016)

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