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デング熱やジカ熱の発端となる害虫の歴史

世界には様々な感染病が存在しています。

一部の地域で流行したものが、人や動物の力を借りながら広域へ流行したりします。

1時期流行したデング熱、ブラジルから感染をしてきたジカ熱など。

 

とても厄介な病であるのですが、今回はそんな病原菌の元にもなる「虫」について。

一般的に「害虫」と呼ばれる虫のエピソードについてお伝えします。

 

成田空港と成田漁港

 

「日本の漁港ベスト10は?」という質問に対して、焼津港、銚子港、釧路、気仙沼などは思い浮かびやすいでしょう。

 

魚介類を水揚げするという意味では、成田空港もトップ10に入ります。

食用のエビや、地中海方面のマグロなどが、成田空港に水揚げされるわけです。

通称「成田漁港」などと呼ばれる所以です。

食料の海外依存度が高い証拠でもあります。

 

空港は、人を運ぶことが主な仕事におもえますが、実は貨物も驚くほど多いのです。

中には、目に見えないものまで運ばれてくるのです。

 

空港マラリアの時代

 

海外に一度も行ったことが無く輸血の経験も無い人が、マラリアに感染したりする時代です。

空港の近くに住んでいる人が発病する、いわゆる「空港マラリア」です。

 

国際空港の周辺では、空港関係者が捕虫網を持ち歩いて、蚊や昆虫を採取しているのを見たことがあります。

航空機に乗ってきた害虫や、様々な病原菌の媒介をする蚊などの昆虫類を捕獲しているのです。

 

エボラ出血熱、ジカ熱、デング熱など、本来なら国内に棲息しない病原菌を運ぶ害虫が大きな話題になっています。

エボラ出血熱が日本に入ってくるような時代は、おそらくパンデミックで大騒動に発展するでしょう。

考えたくありませんが、異常とも思える気候変動は、何を引き起こすか解りません。

 

害虫は農業振興がつくりだした

「富士には月見草がよく似合う」と書いたのは作家太宰治です。

その月見草は、太宰研究者に寄ればマツヨイグサがオオマツヨウグサと言われています。

前者は南米原産、後者は北米原産の帰化植物です。

 

帰化植物は、種が入ってきて繁殖したものです。

ウイルスはもっと小さいだけに、体内に入ってきたやつは、それこそ気付きません。

 

そもそも「害虫」とは、農作物に被害を与える虫のことでした。

農業が始まらなければ害虫も存在しないわけです。

 

人間が農業という環境を作りだすことによって初めて生まれた生き物だともいえます。

農業の初期の段階では、移動式の焼き畑農耕だったために、害虫の大発生が回避されてきました。

人間が「害虫」に悩まされるようになったのは、同じ農作物を毎年同じ場所で栽培する定住型農耕が確立してからのことになります。

 

キーワードは「蝗」。これは「いなご」と読みますね。

漢籍における漢語としての「蝗」は「こう」とよむ。

漢語の「蝗」は、日本で呼ばれるイナゴを指すのではなく、ワタリバッタが相変異を起こして群生相となったものを指し、これが大群をなして集団移動する現象を飛蝗、これによる害を蝗害と呼ぶようです。

 

日本ではトノサマバッタが「蝗」、すなわち群生相となる能力を持つのですが、海外の映画のワンシーンのようなことは、日本列島の地理的条件や自然環境ではほとんどこの現象を見ることはありません。

わずかに明治時代、北海道で発生したもの、1986年に鹿児島県の馬毛島で起きたものなどが知られるくらいだそうです。

 

 

この「蝗」という字は、8世紀の「続日本紀」に既にでているそうです。

この「蝗」の発生が飢饉を誘発しました。これが害虫の発生になります。

 

しかし、食物が枯れたり、結実しなかったりするのが害虫に寄るところだと解るのには相当の年月が掛かります。

科学的な実験や、技術が進まない昔は、「蝗」は神の仕業、祟り、そういうモノが飢饉の原因と考えられていたわけです。

 

江戸時代まで来ると農業が飛躍的な発達を遂げ、同時に勤勉な日本人の識字率が非常に高いこともあり、農業技術書である「農書」が害虫駆除の発展を促します。

 

鎖国時代にあって、徳川吉宗は洋書の移入を解禁して「本草学」などが国内に入ってきて、江戸期にちょっとした「博物学」の流行さえありました。

 

顕微鏡の発明

江戸の博物学で最も大きな収穫は「顕微鏡」で植物を見るということが出来るようになったことです。

初めて顕微鏡を見た人は驚いたと思います。

 

明治期に入ると、西洋の学問は奔流の如く流入し、害虫の認識は桁違いに浸透していきます。

害虫駆除の方法も一段と進みます。

 

面白いエピソードをひとつ紹介します。

 

ゴキブリが害虫と言われるのは、高度成長期以降のつい最近のことだということです。

むしろゴキブリは豊かさの象徴だったというはなしもあります。

群馬県高崎地方では、チャバネゴキブリのことを「コガネムシ」と呼んでいました。

ゴキブリが多いと金が貯まるという話は、愛知県や岡山県にもあり、秋田県ではゴキブリを駆除すること自体が厳しく戒められていたというから驚きます。

害虫の境界線は常に揺れ動いているわけです。

 

ツツガムシ病という熱病があります。

永く秋田や、山形の風土病と思われていましたが、最近は日本全国でツツガムシ病の例が出ています。

また富士山周辺で、アメリカ軍が訓練中に、謎の熱病で倒れた兵士がツツガムシ病だったという話もあります。

人間が、自然の中に深く入り込んだこともひとつの理由です。

人間の医学は、癌を克服しつつあります。

認知症もかなり解ってきて、いつか阻止することが出来るようになるでしょう。

 

21世紀はウイルスとの戦い

 

しかし、21世紀の病気は、やはりウィルスとの戦いです。

簡単に短い時間で海外へ行けるようになった分、未知の病原菌も一緒に入国してしまうのは、阻止できません。

まして、体内に入った害虫はなおさらです。

 

国には国境はあります。

犯罪者や麻薬などを厳しく取り締まって国内に入れない水際での対策に躍起になっています。

しかし生物には境はありません。

渡り鳥が良い例です。2万kmも遠くからやってくる鳥もいます。

鳥インフルエンザが猛威を振るうのは、鳥が勝手に行ったり来たり出来るからに外なりません。

自然とは、常に想定外なもの

 

東日本大震災の復興で、巨大な堤防を作っていますが、自然は刻々と変わっていて温暖化のような様々な気候変動で、何が勃発するか解らない。

自然とは、絶えず「想定外」ということが起こるから、自然と呼ぶのです。(destael2016)

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