俳句や短歌は日本のこころです。
桜もチェリーブロッサムという英語もありますが、「SAKURA」という共通語があるように、また硬貨にも描かれているように、日本を代表する花でもあります。
今回はそんな日本の心にフォーカスを当てた記事になります。
これらの歴史やトリビア的な話題です。
Contents
プチ短歌ブーム!?
若い人に「短歌」を作る人が増えているようです。
「メール打つ手が震えても あなたにはわからないのが なんか悔しい」
「あの人に会うかもしれない それだけで選んだ服を きょうも着ている」
どうでしょう?たいへん解りやすいですよね。
二首とも今人気の若手女流歌人、佐藤真由美さんの作品です。
素直に感情を表せて、尚且つメロティがありリズム感もあります。
短歌が人気なのは、こういう音楽的でポップな一面を持っているからでしょう。
短歌は、今に始まった世界ではありません。
万葉集まで遡ります。
万葉仮名といって、漢字を日本語に当てはめて書かれている「和歌」と呼ばれる世界です。
日本文化が、中国を真似ることを何より優先していた時代のはなしです。
梅の時代「万葉集」・・・桜の時代「古今集」へ
万葉集に一番多く歌われている植物をご存じでしょうか。
梅と答える人が多いですが、この時代が中国の影響下にあったことが良く解ります。
でも一番多いのは、「萩」で138、次いで「梅」が118だそうです。
「桜」はかなり下で42首です。
研究者によってまちまちですが10番辺りです。
日本人の感性・・・あはれ・・・
それが古今集まで時代が下がっていくと、国風文化が花開きます。
貴族文化全盛がやってきます。
王朝文化の特質は「あはれ」が象徴します。
「あはれ」は、四季の移ろいや人事、事物の有為転変を和歌などに載せて詠嘆したものです。
また「みやび」も王朝貴族達が磨き上げた鋭い感覚といえます。
歌われる花も、梅に比べて桜が圧倒的に多くなります。
中国が「真」、日本は「仮」という時代
「ひらがな」は「平仮名」とも書きます。
それに対して漢字は「真名(まな)」です。
古今集の冒頭には「真名序」と「仮名序」という詞書きがあります。
この時代、日本文化にとって、まだまだ中国が模範となる時代でした。
「真名序」は漢文で書かれています。
それに対して、日本はまだ仮の姿で、「仮名序」はひらがなで書かれています。
中国が「真」で、日本は「仮」の存在だと、日本人が認めていた時代です。
この貴族社会に、日本文化が独自に持ち得た「あはれ」が浸透していきます。
ついでに言えば、日本語は後に、漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字を持つ驚くべき言語に成長します。
さらに、ルビ(振り仮名)も在ります。
時代によっては、ルビは左にも右にも付いたといいますから更に驚きです。
武士の登場・・・「あはれ」から「あっぱれ」へ
時代は更に下ると、王朝文化は衰えていき、武士が台頭してきます。
世の中は、源平合戦の時代に突入します。
武士の台頭は、貴族趣味の「あはれ」や「みやび」を真似ようとしますが、同じ「あわれ」は武士においては「あっぱれ」に変容していきます。
乱世に生まれる、漂白の精神
武士の台頭とともに、乱世の時代に突入して、日本文化には「余情(よせい)」や「有心(うしん)」という感覚が目覚めてきます。
漂白の歌人と呼ばれる「西行」がその最たる歌人でしょう。
この時代の武士の出世コースというべき、宮中警護の「北面の武士」の道を捨てて、生涯を旅と和歌を詠む人生にしてしまいます。
「花と言えば桜」の時代へ
「願わくば花の下にて春死なん、その如月の望月のころ」
西行の代表的な歌です。
死ぬんだったら、桜の満開の時に死にたいぜ!と言うわけです。
事実、西行は思い通り桜の季節に亡くなっています。
すでに日本人のこころの中心には桜が座っています。
西行は、生涯に230首もの桜の歌を詠みました。
この時代は「花」と言えば桜になっていました。
日本文化の形成過程に、桜がしっかり定着しているのです。
もちろんこの時代の桜は山桜のことです。
ソメイヨシノは江戸時代に、偶発的に出来た品種でまだまだ遙か先のことです。
日本人の花に対する意識に対して、漂白の思いなどは風の文化と呼んでも良いでしょう。
「花鳥風月」の感性はこの頃までには独特の日本文化として、結実していきます。
余談ですが、京都の桂離宮には茶室とは別に「月」を愛でる場所が何カ所もあります。
ここにも「花鳥風月」は定着しています。
花鳥風月は形を変えて生きていく
「さまざまのこと思い出す桜かな」
芭蕉の俳句です。
私たち普通の日本人は、この句ひとつでしみじみとした気持ちになります。
去年の桜はどうだったかな?という「想い」や、今年の桜はどうだろうか?という「待ちわびる」心など、僅か17音と、5・7・5という世界でも類の無い短詩型の文学を作りだしました。
桜に関して言えば、戦争中に美しく死んでいく、日本人の代表的な感情になっているかのように扱われたことは残念なことですが、「あはれ」の血を引く感受性にとっては好都合だったのかも知れません。
負のイメージです。
改めて、桜が咲く前に
「啓蟄」(けいちつ)「穀雨」(こくう)「晴明」(せいめい)など旧暦の24節気が大事にされています。
日常生活に、「風光る」「春愁」(しゅんしゅう)「春霖」(しゅんりん)などの「季語」が普通に使われます。
日本人が培ってきた、花鳥風月のこころの現れでもあり、旧暦の季節に寄り添うスローな生き方を今の日本人はもう一度模索しているのかも知れません。
桜の花の咲く前に、改めて日本人の花鳥風月に対する想いをごく大雑把に追ってみました。
明治の天才歌人、与謝野晶子に桜を詠んだ短歌があります。
この短歌で本日の最後にいたします。
「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みな美しき」(destael2016)
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